たまりば

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絶対音感になれる原点とは


自分が絶対音感だと自覚したのは、ずいぶん後になってから。
でも、全ては幼少で決まる。

ピアノを毎日弾く姉をもつ弟としての宿命、興味がなくても吸収されていく小さな身体。
そういった環境がはじまりだった。

幼少の頃に、おふくろが姉の為に購入しただろうクラシックレコードがそもそもの発端だと思う。
小学1年、古いステレオに勝手にレコードを乗せて、針を置く行為がドキドキしていた。
そして、廻っているレコード面の溝を見つめながら流れる音楽を聴いていた。


それは、まるで、魔法にかかったかのように、ひたすら見入っていたレコード盤。
溝に刻まれている太かったり細かったりする様々な線から、小さい音、大きい音で変化するのを楽しんでいた。

太い溝は大きく、細い溝は小さな音を奏でる。

波打ったような面白い溝もあったが、曲名が思い出せない。

次の曲にいく瞬間、針を送るための溝があるのだが、曲の長さによって幅が違う。
その溝の並びでそのレコードの曲が何だかを覚えていた。

だがしかし、肝心な曲名がわからないまま、成長し、数十年も覚えている楽曲はその後ずっと聴く事がなかった。

それほど有名でも、よくかかるような曲ではなかったため、こんにちまで、聴けない日々が続いた。

絶対音感とは、曲を聴くだけでなく、目から入ってくる音、それと同時に耳に入ってくる音、見入って聴き入る時間を要する。それが全て偶然に出来た環境によって生まれるものだと思った。

これは、ただ自慢したいわけではない。絶対音感を勘違いしている人が多すぎるのだ。
鍛えて持てるものではないことを伝えたいだけ。

でも、絶対音感は、まるで音楽界では必要なく、自分自身だけで即興的な作曲をするだけに留まるので、他人にはまったく役に立たない。

トラックやサイレンの音真似が出来たり、電車のモーター音の特長やら、どのクルマのエンジン音かとかの擬音的な事、それを声にだして歌ったり出来ても、ただの変わり者扱いである。、

音を識別する能力である「相対音感」なら、誰でも備わっており、鍛えて勉強していけば、それだけでも音楽は作れるし、人に伝えることができる。

今更ながら、グラフィックデザイナーよりも、音楽界での仕事の方がよかったと後悔しているが、もう後戻りは出来ない。