たまりば

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漬け炒飯の巻


久々のおやぢ飯だが、さぼっていたわけじゃない(言い訳)。

毎週は作っていたのだが、これといって創作というよりも、普通のもんしか作っていなかった。

でも、今回は見た目は普通じゃん!と言われても仕方がないけど、具に仕組みを。

もうすぐっていうのに中途半端にあまってしまった瓶の底にへばりついた「食べるラー油」。

それをお湯入れて溶かして皿に入れて、豚コマ肉を投入し、醤油で漬ける。
3時間くらい寝かしたあと、肉とそのつけダレごと炒め、後は玉子と玉ねぎで炒飯行程に。

すると、見た目のわりには、ラー油の香りと醤油の旨味が同時に味わえるのだ。

漬け状態


完成




  • 絶対音感になれる原点とは


    自分が絶対音感だと自覚したのは、ずいぶん後になってから。
    でも、全ては幼少で決まる。

    ピアノを毎日弾く姉をもつ弟としての宿命、興味がなくても吸収されていく小さな身体。
    そういった環境がはじまりだった。

    幼少の頃に、おふくろが姉の為に購入しただろうクラシックレコードがそもそもの発端だと思う。
    小学1年、古いステレオに勝手にレコードを乗せて、針を置く行為がドキドキしていた。
    そして、廻っているレコード面の溝を見つめながら流れる音楽を聴いていた。


    それは、まるで、魔法にかかったかのように、ひたすら見入っていたレコード盤。
    溝に刻まれている太かったり細かったりする様々な線から、小さい音、大きい音で変化するのを楽しんでいた。

    太い溝は大きく、細い溝は小さな音を奏でる。

    波打ったような面白い溝もあったが、曲名が思い出せない。

    次の曲にいく瞬間、針を送るための溝があるのだが、曲の長さによって幅が違う。
    その溝の並びでそのレコードの曲が何だかを覚えていた。

    だがしかし、肝心な曲名がわからないまま、成長し、数十年も覚えている楽曲はその後ずっと聴く事がなかった。

    それほど有名でも、よくかかるような曲ではなかったため、こんにちまで、聴けない日々が続いた。

    絶対音感とは、曲を聴くだけでなく、目から入ってくる音、それと同時に耳に入ってくる音、見入って聴き入る時間を要する。それが全て偶然に出来た環境によって生まれるものだと思った。

    これは、ただ自慢したいわけではない。絶対音感を勘違いしている人が多すぎるのだ。
    鍛えて持てるものではないことを伝えたいだけ。

    でも、絶対音感は、まるで音楽界では必要なく、自分自身だけで即興的な作曲をするだけに留まるので、他人にはまったく役に立たない。

    トラックやサイレンの音真似が出来たり、電車のモーター音の特長やら、どのクルマのエンジン音かとかの擬音的な事、それを声にだして歌ったり出来ても、ただの変わり者扱いである。、

    音を識別する能力である「相対音感」なら、誰でも備わっており、鍛えて勉強していけば、それだけでも音楽は作れるし、人に伝えることができる。

    今更ながら、グラフィックデザイナーよりも、音楽界での仕事の方がよかったと後悔しているが、もう後戻りは出来ない。